日本のギャンブルの魅力的な歴史

ごあいさつ

ギャンブルとカジノに関する大切な情報を把握しておきましょう。ギャンブルがどのようにして誕生し、現代の世界で私たちにどのような影響を与えているのか、ここで知識を深めてみてはいかがでしょうか。

日本のギャンブル史、その魅力

私たちの日出ずる国日本は、豊かな文化と親しみ易い国民性で知られています。世界中の誰もが1度は直接体験してみたいと思う文化、それが日本文化です。魅力的な異質さがあるという言い方もできます。そして、文化という観点に限定しなくても、訪れてみたくなる素晴らしい場所や、もっと知りたくなる彩りに満ちた歴史を、日本の其処彼処で発見することが出来るのです。そうしたものの1つがギャンブルです。とても魅力的で、次から次へと知りたいことが湧き出る、探究心を刺激して止まないテーマです。今すべての詳細を知ることが出来なかったとしても、知っておいて損にはなりません。

日本のギャンブル事情は少し複雑な印象を与えるかもしれません。日本には、実店舗型のカジノは存在せず、公営のスポーツくじや宝くじといった現代的なギャンブルだけがあるのです。こうした公営ギャンブルの経済規模は合計すると何兆円にも上ります!数百万人、またはそれ以上の日本人が、完全に合法的に運営されている公営5競技と宝くじに、日々、胸を熱くしているというわけです。日本国内で合法的なカジノを見つけることは不可能ですが、その代わりに、こうした公営ギャンブルはたっぷりと楽しめます。

日本の過去のギャンブル事情は?

ギャンブルというものが生まれるや否や、それは一気に広まり、多くの人々の娯楽となりました。中毒を起こしたかのように路上でギャンブルに興じる人々が後を立たず、日本特有の賭けゲームがあらゆる場所で行われていました。ギャンブルを行う場所を作り出すのに、創造力が最大限に発揮され、路傍でのギャンブルが当たり前の光景でした。

ギャンブルが数世紀後に非合法化された遠因は、社会全体がそこまでギャンブルに耽溺してしまったことにあるのかもしれません。確信できる理由に至るには、さらなる検証が絶対に必要です。しかし、ギャンブルの影響に、好ましいものと好ましくないものの両方があったことは間違いないと考えられます。路上での熱狂から今日の非合法化まで、日本のギャンブル史はこの上なく興味深いものです。

日本のギャンブルの黎明

日本最初のギャンブルはサイコロを使ったゲームでした。現代のバックギャモンに似たものです。8世紀、「2つの6」を意味する「盤双六」と呼ばれていたこのゲームに天武天皇が熱中していたことが知られています。次代の持統天皇は、残念ながら、即位後にこのゲームを禁止してしまいました。しかし、その後、博徒という呼称のギャンブラーたちの人口は増加し、日本中で見かけられるようになります。13世紀には、賭博禁止令が10回も出されました。

その結果、武士たちは、いかなる種類のギャンブルを行うことも禁じられました。しかし、それでも高位の武士たちは、遊女と遊び、ギャンブルと酒を楽しむことが許されていたのです。庶民階級の者は、ギャンブルを行っていたことを見咎められた場合には、死刑を宣告されました。13世紀は、日本のギャンブラーにとって、常軌を逸した試練の時代だったのです。しかし、それほどまでに厳格に禁止されていたにも関わらず、沢山の人々が抜け穴を見つけ続けたため、ギャンブルは根絶されませんでした。

1718年には宝くじという形式で小規模なギャンブルが合法化され、50文 (もん、当時の貨幣単位) 以下の賭けが許可されました。やがてチョボイチというサイコロを使ったギャンブルが人気を博し、その影響で日本中に数多くの賭博場が作られました。日本へのトランプの伝来は、それ以前の16世紀でした。ポルトガル人によって持ち込まれたのです。ザンマイという、ブラックジャックによく似ているものの21ではなく19に手札の合計値を近づけるカードゲームなど、数種のギャンブルが、密かに、また、時として公然と、人気を集めるようになっていました。

日本に実店舗型のカジノはあるのでしょうか?現在のところその答えは「ノー」です。20年間にわたって、そうしたカジノを実現しようという努力が積み重ねられてきましたが、成功に至りませんでした。2018年になって、関連法案がようやく国会を通過し、3つのカジノに運営ライセンスが付与されることになりました。リゾート地に組み込まれるという形式を取る予定です。モラルを重んじる日本では、厳格なガイドラインが設けられ、徹底した管理が行われるものと見込まれます。